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ここは新宿。とあるエディトリアルデザイン会社のスタッフblog

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「iPad」コンビビアのブログにやっと登城 !!
iPadのある生活をしてみよーと思い、身銭を切ってみた。
なぜかとゆーと…
と、軽〜くはじめたかったが、そうもいかない結構大袈裟なテーマなのだ。
  「好むと好まざるとに係わらず」という言葉があるが、この数十年「情報技術(IT)の進歩」はまさに有無を云わせぬ勢いで、世の中のあらゆる場面を動かしてきた。「デジタル化」を底流に通信網が世界を結び、ビジネスの形から生活のスタイル、ものごとの価値や有り様が変容してしまっている。私も含めた多くの人々にとってそれは、「いつの間にか」という感覚だったのではなかったろうか… 

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だが今年発売されたApple社の「iPad」は、そうした時代の転換点をはっきりと認識させる「象徴」であり、かつ「起爆剤」そのものだ。とりわけ私が身を置いているグラフィックデザインの世界にとってiPadの出現は、「印刷文化」の大転換点(もっと言えば衰退)のシンボルに見え、衝撃だった。
“紙にインクで刷る”印刷文化は500年以上の歴史である。印刷=グラフィックのデザイナーとして、学生時代から常に意識し勉強してきた大前提だ。その歴史的な曲がり角を、目の当たりにしている感じがした。
 iPadをきっかけにいくら時代が変わりそうだといっても、ちろん印刷物がすぐ無くなってしまうはずはなく、過剰反応する必要はない。…このあたりの話は別の機会に譲るが、身の回りで「印刷物」が姿を消しつつあることも確かである。だから印刷文化が徐々にであれ「好むと好まざるとに係わらず」別の形に転換するのだとしたら、それはどう変化していくのか…そこを覗いてみようと思ったことがiPad導入の第一の動機だった。グラフィックデザインの立場からの積極的な発言も少ない今、自分の目で見て確かめてみるということだ。
 まずiPadのうえで、書物がどう見えるのか、何を思うのか、さらに可能性を感じることができるのか…知りたいと思っている。

個人レベルで当面できる“覗き見”として
・書店で購入した雑誌(Penなど)とそのeBook版の比較
・電子化された書籍で読書してみる
・既存の冊子をeBook化してみると 1(PDF→青空文庫)
・既存の冊子をeBook化してみると 2(PDF→有料電子本化サービス利用)
・既存の冊子をeBook化してみると 3
  (PDF→電子本作成・配信サービス利用)
・…

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といったメニューをこなしつつある。
 
 またiPadは本を読むだけのものではないので、豊富なアプリケーションによる他の機能が複合したとき、どうしたコミュニケーションができるのか…といった面も見所だろう。このようなデバイスによって生活がどのように変化するのか…一方で「田圃」や「山」といった超アナログな世界でバランスをとりつつ、けっこうお気楽なスタンスで見ていきたいと思っている。
 
 面白い発見があったら、何らかのご報告をしたいと思っている。

岡野祐三
 

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『BIG ISSUE』を買ってみた。この雑誌はホームレスの人たちの自立支援の為に2003年創刊されたもので、書店ではなく街頭でホームレス自身の手で販売されている。雑誌を売ることで彼らに「仕事」と「収入」をもたらすこの支援の仕組みを、私は創刊時に各メディアで知り「妙案を考える人がいるものだ…」と感心した覚えがある。好意的ではあったが販売者を気にかけたわけでもなく、実際には距離を置いたスタンスだった。
 ところが、このところ通勤途上の駅近くに販売者が立つようになった。暑い日も寒い日も『BIG ISSUE』を掲げて立ち続けている販売者。夕方など公園のベンチで休んでいるまさにホ-ムレスな光景も。販売者が替わったときには、その事情など想像してしまう。なにより気にかかったのは、買い求めている人を一人も見かけなかったことだ。もし売れ行きが芳しくないのなら、自立支援にならないのではないか?

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私たちの現在身の回りではフリーペーパーが溢れ、商業雑誌は低迷している。今まで親しんできた印刷媒体はどうやら行き詰まりつつあり、だからか私たちグラフィック・デザイナーも厳しい時代を過ごしている。この状況は『BIG ISSUE』にとってもおそらく同じだろう。それでも売れる魅力ある内容なのか…気になってしまう。一度読んでみよう…と思いたって買ってみたのだが、路上で販売するおにいさんに声をかけるのは思いの外ハードルが高かった。そのこともまたこの雑誌にとって逆風のひとつと思えてしまう。

『BIG ISSUE』139号/A4サイズ/フルカラー32ページ。売価300円の内160円が販売者に渡るシステムである。
 仮に1日20冊売れたとして手元に残るのは3200円の収入だ。もっと売れれば良いのだろうが…どうなのだろう。
 表紙は毎号、海外の映画スターやミュージシャンなど豪華とも言える人々が飾る。インタビューの対象も、執筆者の顔ぶれも内外の著名な人たちが多く、考えていたより贅沢だと思った。この雑誌が元々イギリスで始まって成功している『BIG ISSUE』のモデルを、日本に移入したもの…という由来を考えると納得できる。記事の融通がきくのだろう。

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 他の誌面では、街頭で『BIG ISSUE』売っている販売者の記事もあったり、おおむねまじめで読み応えのある記事で構成されている。誌面全体の印象はそこそこのフリーペーパー風といったところか。
 商業広告は無く、実質29ページ程が編集記事となっている。制作・運営の費用のことを思うと、この雑誌が取材される側、執筆・制作する側、サポーターなどの「善意」「好意」によって支えられているだろうことは容易に想像できる。関係者のガンバリは伝わってくる。そして社会的関心のある善意の読者にとって、300円に対するこの内容は「無駄」ではないだろう。だが良くできたフリーペーパーと比べて、圧倒的な質量とまでは行ってない。

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Web上などでは『BIG ISSUE』に関して、批判的な意見も多いことが分かる。物事には賛否があって当たり前だが、私はそれでもなお好意的な側に立っていようと思う。だから少なからず行く末を心配しているわけだが、印刷媒体そのものが縮小している中で、早晩次ぎなる対応、新しいアイデア、別なシステムが求められるのではないか…とも思った。

   20100514
   岡野祐三

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雑誌や冊子のデザイン主体のコンビビアでも
書籍の表紙まわりを手がける機会はけっこうある。
そんな時自らを「装丁家」と考えているかというと、その意識は私には希薄だ。
社内では装丁の機会が少ない方という、量の問題が大きいのだが
「装丁」「造本」「ブックデザイン」への興味が薄いわけではない。
装丁が気になってつい買ってしまうこともままあり、ここで紹介するのも
そうして購入した本のひとつだ。

『装丁思案』菊池信義/角川学術出版/3,000円
装丁家それも大御所が、まさに装丁そのものについてふれた「自著・自装」本である。

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外見は「白・赤・黒」という、印刷の原点のような色使いで構成されている。
タイトルと帯のコピーサイズの逆転や、タイトルと著者名の文字サイズに
差をつけない処理を、色のコントラストを巧みに使って自然に見せている。
そのほか判型、用紙の質感、表紙の芯紙の厚みの選び方など、
改めてじっくりみると“なるほど”と思わされてしまう造本だ。

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「雑記」として2〜3ページに本1点ずつ、その装丁について綴られている内容は
選ばれている本のジャンルの多様さをはじめ多岐にわたる。
「造本」「用紙・素材」「文字」「装画」…それらが、幅広い知識と
深い洞察によって結びつけられる。そこを起点にそれぞれの装丁者の
本作りへの思いまで、装丁家は想像を巡らせる。
この装丁へのまなざしは、裏を返せば自らの創作作法とも云え、興味深い。
著者は、書店に足を運び目に付いた本を買い求めたうえで、その装丁について
思いを述べている。菊池氏ほどになれば献本や贈呈本には
相当恵まれているはずだが、“書店で身銭を切って評価してこその装丁”
というスジの通し方には共感できた。

しかし正直に言うと、私はこの本を最後まで読む気力が続かなかった。
それが何だったのか…一時的な気持ちの問題だったのかもしれないが
「幅広い知識と深い洞察」にちょっと酔ってしまったような按配だった。
読了できなかった本を前に、もう一読したものかどうか思案している。

自分たち(コンビビア)が多く係わる装丁のジャンルといえば
文芸書ではなく理科系・医療系が大部分である。
一般読者が対象でないこのジャンルでは、発行部数が限られており
まして出版不況のご時世、出版社の事情は厳しいのだと思う。
「ジャケット・腰帯・本扉」を1セットとして依頼されることが一般的で
版元にもよるのだが、造本に係わる構造や用紙・色数は選択できないことが多い。
菊池氏の「装丁」とは大違いの条件であり、考えようによってはまるで
「包装紙」のように、表面的な意匠をデザインしているだけのようにも見える。
それでも自分たちとしては
本の内容と読者のことを考えながら、可能な限り良い選択をしていきたいと
努力しているし、できうるならば本文ページの設計を含めた
「ブック・デザイン」を目指している…
とここで表明しておきたい。


   20100308
   岡野祐三

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10月、ソウル生まれのアーチスト金斗鉉氏に案内していただき
ソウルを堪能してきた。私としては1987年以来の再訪だ。
22年前のソウルはオリンピック開催直前で、
これから先進諸国に追いつくぞ…
といった意気込みが印象に残ったが
今回ソウルでみたものは
まさに近代都市となり得た街の風景だった。
東大門・南大門近くの市場風景は、変わらぬ庶民的なカオスに
溢れていたが、
市街は若者のファッション、ビル街の佇まい、
行き交う車のフォルムと数…
ハングルの看板が無かったら、東京と何ら変わらない。

そのソウルの旅で、その気は無かったのだけれど、
いつの間にか集まった様々な印刷物を改めて眺めてみると
それなりに韓国グラフィックデザインの様子が分かっておもしろい。
韓国国立博物館 創立100周年記念の印刷物

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左:家並みの中にある小さな民画の博物館のパンフレット(日本語版)
  民画は日本の柳宗悦が見いだした韓国の民族絵画とか
中:どこでもらったか記憶がない。ギャラリーのパンフレット
  折りと色使いがおもしろい。
右:「SEOUL DESIGN PLYMPIAD 2009」のパンフレット
  ソウル滞在中に開催されていたが、参加はしていない


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観光地で配布されていた冊子。
左は日本語版観光案内誌で、文字の組もレイアウトも
しっかりしている。
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右は英語版の別の観光案内誌。中身はちょっと日本でも流行った
「ロハス系」のデザイン。
レベルの高い部分もそうでない部分も、街の様子同様
東京とそう変わらない…
というのが私の感想だ。
金さんによると、現在のレベルは外国帰りのデザイナーに
因っているところが
大きいのだという。
韓国内に多くある美術大学で学んだ人たちの発表の場は少なく、
今回ソウルを歩いて目についた、たくさんのギャラリーが
そうした欲求の受け皿になっているそうである。

それにしても、戦後復興、政治体制にしても、
日本よりはるかにハンデを負って
スタートし、
人口は日本の半分以下の韓国で、よくここまで水準を
上げられたな!
という感心は素朴過ぎるだろうか。
聞けばソウルは1,000万都市だという。その集中力。
日本人が野球やサッカーの対戦相手としても垣間見るそのエネルギーが
様々な分野で彼らの「質」を高めていることは
間違いないのではないだろうか。

   200911203
   岡野祐三

 

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朝の通勤電車でよく乗り合わせる30歳代と思われるサラリーマンが
いつも読んでいて気になっていた。
赤い紙にかまわずカラー印刷したタブロイド紙。
サッカーの専門誌らしいが、旧来のスポーツ系タブロイド紙の
下世話とも言える雰囲気を、完全に覆している。
レイアウト、デザインが良い。適度な品格を保ちながら、
熱っぽさも伝わってくる。

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コンビニの新聞棚にこの新聞を見つけて「こんなところで手にはいるのか」
と、次の日買いに行ったらもう売り切れていた。日刊ではないようだ。
いざ買ってみようとして、この手のジャンルへの無知に気づく。
駅のキオスクでやっと手に入れてみると
「EL GOLAZO/エル ゴラッソ」は月・水・金曜発行の20ページ。
カラーとモノクロ刷りが約半々で¥150であった。

ピンクの用紙に「読みにくい」など異論もあろうが、
日本離れしていて他紙との差別化は十分だ。
私が電車内で目についたのも、この用紙の色による効果だったと思う。
基本組は横組である。グリッドシステムのかなりスクエア運用により
他のスポーツ紙に無い、清潔とも言えるムードをかもし出している。
コラムの処理、それら見出しのあしらい、図版なども小技が効いて土臭くない。
その上で写真の処理や、一部見出しの処理は熱い。
スタジアムでの熱気はこのビジュアル要素が伝えているのだ。
この組み合わせ、編集者とレイアウターの呼吸が合っている。
「サッカーを伝える」その手法で意見が合っている感じがするのである。
20代から30代を中心に支持されそうな紙面なのではないだろうか。
こうした紙面は旧来の紙面作りのメンタリティ、システムから解放された、
デジタルによる紙面作り(DTP)が可能にしたものだろう。
新聞というより雑誌的な感覚、ノウハウによるものといえる。

南アフリカでのワールドカップが近づく中、このタブロイド紙の
発行部数がどうなっているのか、私には気になるところである。

岡野祐三

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新しい話題とは言えないが「ヤマハSR400」がついに生産終了となった。
SR400は発売以来30年もの間、大きなモデルチェンジ無しに生産され続けた
奇跡的超ロングセラーのバイクである。
発売当初から古き良き英国バイクを再現したようなコンセプトだったので、
それから30年、現在から見れば二重の意味で“ヴィンテージ”だといえる。

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私が20代の頃、30歳代になったら…つまり大人になったら、
きっとこのバイクに乗ろう…と憧れた。そして実際所有して乗っていた時期もある。
そのオートバイらしいクラシックで端正なスタイル。
今時キックスタートのみの始動は儀式とも言える程コツがいった。そして何より
エンジンの空冷フィンの形状と、そこから優美なカーヴで後方に伸びる
エキゾーストパイプの造形が素晴らしく、手放すとき
せめてこのエンジンと排気管だけでも手元に…と願ったが、叶わなかった。
 
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そのバイクがとうとう生産中止となったのは、生き残りのため
度々対応してきた排ガス対策が、とうとう間に合わなくなったからと聞いている。
温暖化のさまざまな影響を身近に感じることが多くなり、ガソリンの高騰、
エコ意識の高まり、若者の嗜好の変化、そして世界同時不況の影響から
車離れが激しい…こうした状況を背景に、私たちの車社会は、
ハイブリッド車を皮切りに確実に「電気自動車」の方向にシフトしつつある。
私にとってSR400の生産終了は、このガソリンエンジン(内燃機関)の終焉を
最も実感を伴って認識せざるを得ない出来事だった。
 これを境に歴史あるエンジン(内燃機関)の時代を諦め、
「電気自動車」へのシフトを認めようと思う。
私がSR400の形や、走りのフィーリングに魅せられた様な感覚的なこだわり
(それはエンジンの時代が長い時間をかけて熟成させてきた感覚であり文化でもある)
は、しばらく意味を失うだろう。今は「移行」そのものに意味があるからである。
しかし人類から「車」そのものを無くすわけに行かない以上、目指す目標が
「電気自動車」なのか「水銀電池車」なのかわからないが、
つねに改良は加えられ続け、必ず熟成の時期がやってくるだろう。
その時、形や、走りのフィーリングに魅せられる新しい車や、
それに魅せられる人たちがまた現れるのかもしれない。
 
 
ヤマハSR400へのオマージュ 岡野祐三

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今年になってさまざまな出来事の重なりから、私の中では「写真」を巡る気分が続いている。
その要因のひとつに、以前このブログでも紹介された写真展「小島一郎──北を撮る」の最終日に間に合うよう、3月はじめ雪の青森に行ったことがある。
その展示物の小さな新聞記事のなかに、写真家・濱谷 浩への敬意を込めた小島一郎氏のコメントを見つけ、以前から二人の写真に共通性を感じていた私は、我が意を得た気分だった。思いついて、帰ってから濱谷浩自身による半生記「潜像残像」を再読してみた。おそらく私の20歳代前半に買い求めた古い本で、濱谷が渋沢敬三を師とした民俗学的なアプローチで写真に取り組む部分以外、すっかり内容を忘れていて、あらためて新鮮な気持ちで読み進んでいた。
すると3月18日、朝日新聞の「美の履歴書100」に濱谷の作品が載っているのが目に付いた。記録性と芸術性を両立させた濱谷の代表作として「田植女」を取り上げていた。この写真は「潜像残像」に掲載されている濱谷の写真で、最も印象的な写真だった。シンクロニシティ?

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過酷な環境下での労働をドキュメントしようとした濱谷にくらべ、小島の写真にはもう少し郷愁というかロマンティシズムが漂うが、日本の自然と・風土、そこに生きる人々を印象的に写し止めた…という点に、私はずっと二人の共通性を見ていたのだった。
戦後の「リアリズム」には距離を置いていたといわれる小島一郎にとって、民俗学的な…濱谷浩と共通の…といった私の物言いは愉快でないかもしれないが、まさに記録性と芸術性を両立させたという意味で、二人ともこころ惹かれる写真家である。

岡野祐三(遅ればせながら4月はじめの発表から時を経たまとめ) 

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ここにとりあげたのは、共に新聞の折り込みとして目にとまったもの。

右は「GLOBE」。朝日新聞が10月に創刊した別刷りで、隔週の月曜日に発行されている。
年内は4ページだが2009年から8ページに拡大するそうである。
その名の通り内容は、世界的・地球規模といった大きな枠でのとらえ方で、環境・経済などを掘り下げる。
紙面から、時代に置き去りにされない視野の広い
ジャーナリズムをめざしている心意気は確かに伝わってくる。

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左は「ここち」。毎日新聞の2007年6月に創刊したタブロイド判月刊紙。
こちらの内容は先例とは一転して女性読者目線だ。『自分の半径1メートルから始める
「ここち」よい暮らし』と前書きにあった。手作り感のある、背伸びでない豊かさを目指そう…
との提案なのだろう。

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こうした新聞紙面の試みは、言われて久しい「活字離れ」への抵抗として、
ほかの新聞社でも試行錯誤しているのだろうと予想する。
企画はもちろん、表現にも力を注ぎ、「GLOBE」はADに木村裕治氏を起用して、
朝日新聞としても力が入っているのが分かる。
「ここち」は24ページもあって、写真・イラストなど贅沢に使って、
ほとんど雑誌のような体裁だ。両方ともデザインという観点でも申し分ない。
ここまでして、では「新聞に読者は戻ってくるのか」ということを考えると、
はなはだ心許ない感じを持つのは、私だけではないだろう。
私がこの2つを取り上げたのは、そちらへの意味からだった。
Webと携帯電話がここまで普及した中で、「新聞くらい読めよ」「少しは本を読めよ」
と言ってはばからない私たち世代でさえ、新聞に中身に目を通すのは週末くらい、
ウイークディは目次だけ読んで慌てて出社し、帰宅してからはテレビで…
といったライフスタイルになってしまっている実情がある。
日経新聞のように仕事に直結したものを除いては
電車内で新聞を読む姿は、そういえば最近めっきり見なくなった。

そうした社会状況下でも、企画が良ければ、読者の求めているニーズに的確に答えていけば
「新聞に読者は戻ってくる」のか。
さらにグラフィックデザインの末端に関わる者として、デザインの力でどれだけ
「新聞に読者が戻ってくる」のか…
以前取り上げた「カラマーゾフの兄弟」の文庫本のようなことが起こるのか…
正直、諦めというか無力感が支配的ながら
こうした試みをしばらく注視していたいと思っている。

岡野祐三

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