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ここは新宿。とあるエディトリアルデザイン会社のスタッフblog

カテゴリー「岡野のお気に入り」の記事一覧
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知らないところに行くのが好きだ。
知らない土地で、様々見聞きして、どきどきしながら時を過ごす。
都合の良いことばかりとは限らないから、それも刺激の一つとして旅は楽しい。

建築家と建設関係者のグループに混じって、2日間にわたり「瀬戸内芸術祭」を巡ってきた。
3年ごとに開催されているこの催しには、「アートと島を巡る瀬戸内海の四季」と
サブタイトルが付されている。
アート作品を目指して、船とバスと足を使って瀬戸内海の大小の島々をまわることになる。
淡路島生まれの私だが、はじめての島ばかりだった。
目にする風景は首都圏での私たちの日常とはまったく異なる、まさに知らないところである。
だが高松港での光景は、高速艇やフェリーなど大小の船がひっきりなしに出入りしていて、
都会の(バスや電車の)ターミナルの様子にも似た活気があった。
船を足とするここでの暮らしが想像されて新鮮だ。 



 


高松を基地に、豊島(てしま)・犬島・直島と渡って、芸術祭の建築とアート作品を見てまわる。
アート作品はそれらを納める器、つまり建築と密接に関係しているし、豊島美術館などは
建築そのものをアートとして空間の緊張や調和を楽しむことになる。
そして瀬戸内の風光の中を巡ってそこに至ったことを思うと、アート作品にたどり着くまでの
壮大な「空間と時間の体験が作品」なんだ!と思い至った。
「芸術祭」の企画がそこまで計算した仕掛けなのだとすると、ただ感心するほかない。
こうしたことが楽しめる人間は、つくづく4次元時空の生きものだなと思う。
未知の空間が面白くて仕方ない。


建築家の蘊蓄を聞きながらアートや建築を愛でるつもりだったが、
瀬戸内の時空間をそのものを堪能する心弾む旅となった。
そこで体験した感覚は、言葉や写真などでは到底伝えられない。
芸術祭が終わっても公開している施設は多くあるので、
是非訪ねて自ら体験されることをお奨めしたい。

   岡野祐三

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すっかり黄ばんでしまっているが
懐かしい本が棚から出てきて、ひととき思いを巡らせた。
「ペンギン・ブックス」はイギリスのポピュラーなペーパーバックス
で、日本でいえば「文庫本」にあたるだろうか。

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この本はもう30年程も前(私が森啓デザイン研究室で
お世話になっていた頃)、森先生といっしょに立ち寄った本屋
(丸善だったか?)の安売りワゴンからピックアップしたもの。
「ペンギン・ブックス」の中の「ペンギン・シェークスピア」シリーズ
の一冊で、ヤン・チヒョルトがデザインを担っていた時期のもの
ではないか?と、直感して手に取ったことを覚えている。 
 
ヤン・チヒョルトのことだが…。
ヤン・チヒョルトを一言でいえば、タイポグラフィの世界を一変させて、
今日世界中で見られるようなタイポグラフィやデザインに
大きな影響を与えたとされる人だ。
彼は伝統的なタイポグラフィがどんな内容のテキストも左右対称に
組むなど、形式主義だとして批判。
「ノイエ・タイポグラフィ」(1928年/ドイツ)という著作を発表する。
タイポグラフィの本質は明快さであると主張。
内容をより明瞭に伝達するために、それまでの形式ではなく
左右非対称(アンシンメトリカル)など
機能主義による文字組を提示した。

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この頃、つまり1次と2次世界大戦の狭間のヨーロッパでは、
社会的に様々な変革が起こりつつあり、デザインの世界でいえば
バウハウスなどによってモダンデザインが成立する時期でもあった。
そうした時代のうねりがあった時期とはいえ、この著作が
チヒョルト26歳の時のものだというから
時代にシンクロするということの凄さを感じる。
「ノイエ・タイポグラフィ」の主張はドイツを中心にヨーロッパで
センセーショナルを巻き起こし、戦争が終わってからは
アメリカ大陸にも拡がって今日のデザインやタイポグラフィーに
繫がっていく。
 
だがチヒョルト自身はナチスドイツを逃れてスイスに移住し
どうしたわけか2次大戦が始まる前から早々とモダンデザインと決別して、
自ら批判していた古典的なタイポグラフィを再評価して回帰してしまう。
そしてずっとスイスに住んでいながら、戦後から今日までの
いわゆるスイス派(スイス・タイポグラフィ)の興隆や
モダンデザインの流れにも一線を画していたという。
       
話しは「ペンギン・ブックス」に戻る
2次大戦が終わってすぐに、チヒョルトはイギリスに招聘される。
「ペンギン・ブックス」のデザイン面を監修するためである。
1947年~1949年までの間にペンギンブックスの本文組版ルールから、
個別の装丁まで時には自らオーナメントなどを製作しながら、
ブックデザインのデレクションを精力的にこなしたらしい。
こうした「ペンギン・ブックス」に収録される
多様なジャンル・内容の本をデザインし形を与えていく作業は、
おそらく革新的な時期から伝統的なものへの回帰を経てこそ
可能だったのだろうと想像する。
私の書棚から出てきた1冊はこうした時期につくられたもので、
装丁もチヒョルトの手によるものとされている。
 
「ペンギン・ブックス」を終えてからは、67年にオールドローマンに
範をとった有名なフォント「Sabon」を発表するなど、
チヒョルトの人生の中でも充実した時期といわれている。
 
   岡野祐三
 
 
参考資料
*「文字百景053──ペンギン組版ルール」朗文堂(絶版)
  ヤン・チヒョルトのペンギン組版ルールを和訳したもの。
*「現代デザイン理論のエッセンス」ペリカン社(絶版)
  この本は40年以上前の学生時代に購入したもので、
  当時の私自身のボーダーや書き込みが残る原弘先生の
   「ヤン・チヒョルト」の項を再読してみた。

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補足
*「ペンギン・ブックス」は現在では電子ブックとしても発行されている。









 

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「Stay hungry. Stay foolish. 貪欲であれ、愚直であれ」
言うまでもなく、昨年AppleのCEOスティーブ・ジョブスが亡くなって、彼の生涯と成功を支えた座右の銘として知られるようになったフレーズである。
またこの言葉が「The Whole Earth Epilog」という本の裏表紙に刷り込まれていたものであることも、話題になった。40年近くも前の刊行物に再びスポットがあたり、当時の時代背景とそこに生きたジョブスも含めた若者たちを、思い起こす機会にもなったのではないだろうか。
 
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それで…年末恒例の我が部屋の大掃除のおり、本棚の片隅にこの本を発見。どこでどう入手したか記憶がないが、学生時代の友人や時の影響で「カウンターカルチャー」的ではあった当時、憧れを込めて購入したことは確かである。わたしも当時の若者でジョブスとほとんど同世代…ということですね。その後の開きが大きすぎるが… 
大判だが簡易な造本で、表紙は色褪せザラ紙の本文は変色しているが、引っ張り出して紹介してみることにした。裏表紙の「Stay hungry. Stay foolish.」を見て「あゝ、これが…」と亡き天才の顔を思い浮かべる。
 
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「The Whole Earth Epilog」は1974年にアメリカで刊行された。60年代から70年代にかけてのアメリカに大きな影響を与えながら、数度にわたり刊行されたペーパーバックス「The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ」の最終号にあたる。内容は文字通り「地球」に生き、関わるための「カタログ」である。
当時のアメリカは泥沼化したベトナム戦争をはじめ、社会的な矛盾が吹き出した激動期だった。若者たちを中心に反戦平和・エコロジーなど様々な運動に状況打開の道筋を見いだそうと、多くは現代文明そのものに疑問を投げかける形で模索が行われていた。
「全地球カタログ」は、そうした模索や生き方のための「知恵の集積」ともいえる本だった。もちろん情報通信の革命以前のことであり、「Web」まして「google」「Wikipedia」など思いもよらない時代である。多くの人に広めるために安価なペーパーバックスのカタログとし、掲載されたものは注文すると通販で手に入るようにしたのだ。
編者スチュアート・ブランドの言葉。
   「この本は僕たちを「消費」に向かって駆り立てるためのものではなく、
   僕らが地球という惑星の上でヒトとして自立して生きるための
   手がかりを提供しようとしている」
 
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スティーブ・ジョブスはブランドと面識があり交友もあったらしい。その考え方生き方に共感し、影響を受けていたものと考えられる。「Stay hungry. Stay foolish.」はブラントからのエッセンスのようなメッセージなのだろう。
そういったことを思い合わせると、「全地球カタログ」の表紙地球写真とiPadのHome画面の宇宙に浮かぶ地球の写真との繋がりが、すとんと腑に落ちる。宇宙に浮かぶ青い惑星が彼の半生にとって「座右のイメージ」ではなかったか。
 
そして今、日本そして世界はまた大きな転換点に差しかかっている。人類の知恵はどのように集積し、どう示されたら有効に生かせるのだろうか。
 
岡野祐三









 

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かつて科学雑誌「Newton」の仕事をしていた時、
「ハルキゲニア*注1参照」という古代生物に初めて出会って衝撃を受けたことがある。
その形は想像を超えた奇天烈さだった。
近年よく似たショックを受けたのが、テオ・ヤンセンという人が作った
「ストランドビースト」だ。


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波打ち際の砂浜に佇むその奇妙な姿は、機械にも生命体にも見えて
強烈に惹かれる光景だった。風をエネルギーとして動くのだという。
大きくて複雑に見えるが、基本構造は案外単純そうで、どう見ても進化途上の形態。
そのあたりがハルキゲニアとよく似ている。


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実際に「ストランドビースト」は、ヤンセンがコンピュータ上の単純な仮想生物から始めて、
プラスチックチューブで実態を持った構造体を作り出してから、何世代にもわたる
改変を加えられ、まさに進化を続けている。
その過程をまとめた系統樹から見て取れるのは、やはり生命進化への
工学的かつ芸術的アプローチだ。
物理学と生物学を融合したようなものすごく奇妙な形は、テクノロジーとアートの枠を超えて、
太古の生命体の試行錯誤を感じてしまう。

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もちろんこの進化が何らかの理由で止まり、文字通り絶滅してしまう可能性も高い。
そのことも含めてテオ・ヤンセンが「ストランドビースト」から発するメッセージは、
良いも悪いもなく、ただ深い。

 
ここに紹介した資料は、入手しやすい「大人の科学マガジン別冊/学研」だが
既に様々なところ(*注2参照)で取り上げられ紹介されている。
 
*注1 カナダ・ブリティッシュコロンビア州のバージェス頁岩(カンブリア紀中期後半、約5億0,500万年前に属す)で化石が発見された(1911年)古生物。当初の復元像は誤りで、上下と前後を逆さまにしたものであったことが判明。私が古生物学の洋書で初めて見たハルキゲニアはこの上下逆さまの復元図であったが、実に見事な臨場感のある絵だった。 
*注2 2006年BMWのCMで紹介された。ビーストが動く様子とヤンセンの姿を見ることができる。YouTubeには他にも様々な動画が上げられている。 

岡野祐三
 





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net-shopでゴム長靴を注文したら、届いた商品に
小冊子が同封されてきた。

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「ニシアワー/春分」「夏至」「秋分」「冬至」に
「森の学校のご案内」の5冊。
ゴム長靴に添付するには、ちょっと垢抜けたデザインだ。
 
岡山県英田郡「西粟倉村(ニシアワクラソン)」という村を
知っているだろうか。
私はこの小冊子の発行元の所在地として初めて知った。

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西粟倉村…「人口1600人の小さな村。2004年に(町村)合併を拒み、
自立の道を選択しました」そうである。
思わず応援したくなるシチュエーションである。
村の自立のための戦略として、山・川・田んぼ・雪などの自然、
なかでも林業を長期的視点で立て直そうという構想らしい。
森林率95%というのだからそれを生かすしかないのだろうが
材料を提供するだけでなく、産地からエンドユーザに直接販売する。
そのための製品を若い人たちの力を借りてデザインし、
製造し、販売する…そのことで雇用や産業を創出しようという
村おこしの手法もまた今風なのだった。
 
調べてみると、西粟倉村と地域プロデュースなども手掛ける東京の
企業とのベンチャー企業「西粟倉村・森の学校」が中心になって
活動している…ということが分かった。
net-shopは「森の学校」運営していたのだ。小冊子はそのPR誌で、
編集・デザインが手慣れていて小さな村の広報物にしては
どおりで都会的だ。過ぎるといっても良い。
 
こうした洗練された手法が村おこし活動全体の中にも溢れていて
最近になって西粟倉村の取り組みは、
テレビ「NHKサキどり」(2011年6月12日放送)や
雑誌「ソトコト」(2011年7月号)で紹介されたらしい。
モデルケースとして全国に認知され出したのだとしたら、
計画は軌道に乗りつつあるといっても良いのだろう。
 
だが、この作文中に気がかりなニュースを知った。
任期満了に伴う西粟倉村長選(30日告示、9月4日投開票)があり、
「森林の再生に取り組む“森の学校”を廃止し、
真に村民のためになるものの見直しなど事業仕分けを実施したい」
という候補者が立候補したというのだ。
新しい村おこしの活動を、全ての村民が賛同していないことが
窺い知れる。5冊の小冊子をきっかけに知ったこの村が
今後どういった展開になるのか気になるところだ。
 
岡野祐三
 

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赤瀬川原平氏の着眼と発想には「やられてばかり」いる。
『四角形の歴史』赤瀬川原平/毎日新聞社 
新しい本ではないが、たまたま見つけたこの本でもそうだった。
犬は風景をどう見ているのか…をきっかけに、著者は風景について考える。
 
普通「風景」といったとき、何を思い浮かべるだろうか。
富士山だったり、夕焼けシーンなどの光景? または「風景写真」…
「泰西名画」などの絵画? 
風景を「意識」し、さらに「鑑賞」の対象と考え始めたのは
人類史でも最近のこと…と、どこかで聞いた。
さまざまな「光景」が私達の身の周りに溢れている。
しかしそれを気に止めて「風景」として観ることは
日常ではまず無いのではないだろうか。
まして風景がいつから存在しているのか…疑問を抱く人が
どれだけいるだろう。

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そんな疑問を思いついただけでなく、著者は「四角形の歴史」を通して
その起源の説明まで試みる。
曰わく、犬は自分の必要とする対象物だけを注視し、背景は見ていない。
人間もおそらく始めはそうであった。
それを意識するのは、人類文明に「四角形」の枠が出現してから後のことだと…。
額縁に依頼主の肖像を描いた余白に初めて背景を描き込んで
これが風景を意識するきっかけだとする。
そして人が初めて風景だけを描いて鑑賞するのは
「印象派」以降なのだそうだ。
加えて著者は原始の時代にさかのぼって、
直線から始まる「四角形」の出現?(発明?)の歴史まで考えを巡らせる。
「子供の哲学/大人の絵本」シリーズの1冊だが、
大人も「なーるほど」の展開になっている。
ホントかどうかはともかく、その納得の大きな部分が
意表を突いた着想の面白さと、展開のうまさによっている。
赤瀬川原平氏ならではの世界なのである。

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赤瀬川原平氏は前衛芸術家から始まって視覚表現では画家・写真家であり、
また文筆活動でもエッセイスト・芥川賞作家といった
蒼々たる活動の幅であるが、「トマソン」「路上考現学」
「老人力」などに代表される、意表を突く発想と表現が次々と現れ
枯れることがない。鋭い観察者と無類の面白がり屋が同居して
その世界観は肩から力の抜けて人を引きつける。
我が身に欠如したその着眼・着想に、
どうにも吸い寄せられてしまうのだった。
20代の頃から今日まで、この頭の柔らかさが
私はうらやましくて仕方がない。
 
岡野祐三

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今年4月、仕事中いつも聞いているFMで紹介しているのを聞いて、すぐ探したのがこの写真集だ。Amazonで新本が見あたらず古本で購入。『文字の母たち』…ラジオから聞こえてきた書名にもぐっと心を引かれた。

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 書物の奥深い成り立ちを辿る時、著者(港 千尋)は今では遠くなってしまった「活字」「活版」に行き着き、魅了される。そしてその世界を丹念に写し残そうと試みた。著者は批評家であり写真家でもあった。
 写真はフランス国立印刷所で、2006年に活版部門が大幅縮小される直前に撮影されている。この印刷所はグーテンベルグの印刷術発明とほとんど同じ500年近くの歴史を持ち、ガラモン書体のクロード・ガラモンも在籍していたところでもある。縮小といっても閉鎖に等しいいわば歴史の終焉…の直前とあっては、撮影の時間はまったく足りなかったに違いない。半分近くはカラー写真だが、モノクロの方が濃密さ質感が「活字」のもつ鉛とインクのイメージとぴったり重なって印象的だ。


 特に「活版印刷」の世界の圧倒的な物(ブツ即ち金属)の量感に、私もかつて見た活版印刷の現場や空気を思い返し感動する。書物を生み出す過程が、もとは圧倒的に「物」のある風景であり、物理的に組み上げられた世界だったということを改めて思う。その様々な物に係わる、れぞれに専門分化した技術と、多くの人々の人生が存在した。濃密なの写真の向こうに、そうした深い歴史を感じ取ることができる。
昨今の「電子本」の世界から感じる軽快なスマートさとは、真逆のイメージだ。

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…などと思っていたら、同じ著者のもう1冊『書物の変──グーグルベルグの時代』見つけた。実は購入間もなくまだ読んでいないが、併せて紹介しておきたい。
書名からも想像できるように、書物の「電子本」化をとりあげている。
物が支えていた情報(グーテンベルグ)から電子による情報(グーグル)への移行を見据えた内容だ。
このもう一冊がなかったら先の写真集は、下手をするとただ記録やノスタルジーに見えてしまうかもしれない。
『文字の母たち』から「電子本」。この2点間を結ぶ著者の視線が書物への思いを中心に、人に何をもたらしまた何を失わせるのか…どう論評されているのか期待している。活版印刷の歴史を見届けた人が、現在の書物の状況を語るのだ。この遠近法的な見方に共感し、私も考えたい。

岡野祐三

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世の中の仕組みから日常生活まで、これだけデジタル情報の影響下に
営まれてくると、それを拒むことは普通は出来ない。
進歩の名のもと利便性追求の結果であり、都市部から地方まで日々の暮らしを
そこに依存し委ねて生きざるをえない。
だが人が人間である以上、原初の不便さを希求する心情は、
どこかにわき起こってくるものなのではないだろうか。
そのことを裏付けたように感じたのがこの雑誌の特集だった。

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表紙photo

しばらく前の「BRUTUS:森へ還る」だ。
隣の「Tarzan:アウトドア入門」も気になったが、子熊2匹の
可愛くもふしぎな表紙に「何が起こった?」と思わずこちらを手に取った。
内容は…あまりに大きい北米の巨木から始まって、都会の森・森の音楽・本・
Goods・人…と網羅した「森」に関する大特集だった。
編集も見せ方も『BRUTUS』らしい都会的な切り口であって、
土臭いむき出しの野性では無い。
けれど、自然とのその距離感は都市化・脳化(養老孟司『バカの壁』)しつつある
今の日本では、だろうな…とリアルに感じられる。


トンボを見かけない、野原が無くなった。木に登ったことがない、
久しく土をいじった覚えがない…都会的に暮らしている今の多くの人々にとって、
自然はどんどん遠い存在になりつつある。
だが自然が無くなってしまったわけではない。体験や意識の中から
遠ざかっているに過ぎない。
そのことに気づいたとき「Go Green」なのだが、いきなり荒々しい野生に
向うのでなく、生活の周辺的なところ…本や音楽から入ろうというのだろう。
ファッションから始めるらしい「山ガール」も似ているが、そこがリアルだ。
広がっている距離を埋めるための方法は必要だ。形から入るといって
笑うこともできるが、「森へ還る」欲求に気づくき、ハードルを越えようと
試みるだけでも大したことではないか。


最近、いろいろな領域で「Go Green」へのアプローチと、
さらに1歩踏み込んだ実践があることに気づく。
「eco志向」「環境意識」「食料自給」への関心といった理由はすぐに考えられる。
だが関心があってももなかなか一歩踏み出させないのが普通だろう。
ところが中高年のものと思われていた山で、ファッショナブルな女性たちを沢山見かける。
私自身もそうした傾向が以前からあった。
今年はことに山づいて富士登山など多くの山に出かけたが、
特に大きかったことは、ここ数年の念願だった「田んぼ」への一歩を
この春から始められたことである。
すると、思いがけなく身辺に農業志向の人が多くいることがわったり、
田んぼにも世代を越えた多くの参加者がいた。都市依存の強い私たちにとって
田圃の世界はなかなかハードルが高く、間口が開かれているわけではない。
だがきっかけも能書きも皆それぞれなのだろうが、引きつけられるように
「Go Green」へ一歩踏み出している人たちが、たくさんいるのではないだろうか。

 Go Greenしてみると、想像を超えて「体が喜んでいる」ことを体験する。
「Go Green」とはこの身体性への志向だったのだと思いあたる。
都市化・脳化に対しバランスをとるかのような自然(田舎)・身体性への傾向。

デジタル情報の世界へ突き進む流れ… 反対方向に身体が渇望する野性… それが「Go Green」への志向なのだと思う。シーソーでバランスをとるように。

岡野祐三

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