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ここは新宿。とあるエディトリアルデザイン会社のスタッフblog

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検査入院で久しぶりに大きな病院に、数日入院した。持っていった文庫本はすぐ読みつくし、病院の図書を漁ることになった。これは、病院の待合のラックにおいてあったフリーマガジンである。

 タイトルの丸ゴシはふところの広い新ゴ系のものではなく、古風なバランスの丸ゴシを採用している。欧文のロゴはDINであるし、なにげない選択に神経が通っている。本文は15Qの太明朝と大きくて見やすい。もちろん高齢者対策だ。色づかいも、記事毎にヴィヴィッドトーンが使われており、わかりやすい。  


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 フォーマットもシンプルだ。解説の図づくりはわかりやすく見えるように作っているが、実は解りにくいのがちと残念。でも誰にでも手にとってもらい、難しそうに見えないための工夫かも。何より素晴らしいのは、記事の質が大変良いことだ。編集者の意気込みが伝わってくる。なんでもそうかもしれないが、やはり中味あってのかたちである。そういうことを考えると、小冊子だが大変幸運な仕事かも知れない。 堀木一男





 

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杉浦康平は半世紀にわたってデザイナーを魅了し続けているデザイナーである。様々なタイプのデザイナーがいるが、誰にも似ていない。むしろ、まわりが杉浦化するようなデザイナーであり、杉浦流の家元なのだ。すごいのは造形が生き続けているということなのだ。止まることを拒否した,生きていることを感じさせるデザインなのだ。銀座gggに杉浦康平・マンダラ発光を見に行った会場で、半世紀にわたる雑誌デザインの記録集{疾風迅雷」をみつけた。非常に反発を感じ、違和感を感じ、毒気に当たるところがあるのに引きつけられ、魅了される何かが宿っている表現なのである。みればみるほど、細胞が泡立つのを覚えるくらい刺激的な造形であり、大学時代の恩師でもあるのである。

 

堀木一男

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知らない街のショッピングモールで

ぶらぶらしていたら無印良品があった

MUJI はフェアトレードにも取り組む好感度の企業だ

衣料品・生活雑貨も素材感のあるものを

品質と価格のほどよいバランスでそれなりの指示を得ているようだ

モダニズムと手作り感とナチュラル志向をブレンドして

若い女性を中心に評価されているらしい


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そのMUJIの紙媒体販促ツールがなかなかいい

何がいいといって紙の素材感が手触りで

ナチュラル志向を伝たえているのがうまい

2012年夏 と書かれたタブロイドの商品カタログは

触っただけで 洗い立てのTシャツやシーツの

快さを思い起こさせる ありふれた紙に思われるが

なかなかお目にかからない優れものだ

紙にご注目というわけ

 

堀木一男








 

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1975
年、ドイツのペーパークラフトの絵本を、日本人向けにデザインした僕はまだ卒業して4年しか経っていなかった。40頁そこそこの小さい物語絵本であり、仕事場から帰ると,数ヵ月に渡ってイラスト描きとレイアウトに悪戦苦闘していた。原型となるドイツの型紙は、切り抜いて糊で留めると人間や動物が見事に立ち上がってくる。今見てもすぐれたデザインだと思う。教会学校の生徒たちと何回作ったことだろう。たまたま、出版社の社員が倉庫の片隅から当時の版下を持ってきてくれた。

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37年ぶりの再会であったが、糊がはがれ,版下はさすがにばらばらだった。そこで,スタッフと共に第一番目の人形である「天使」をみんなで拵えてみた。当時、なるべく素朴な味わいを遺すために、タッチのある水彩画用紙に水溶性のマーカーで重ね塗りして着彩したのを覚えている。みんなでわいわい がやがやいいながら工作してみた。おかげさまで事務所には守護天使7人が、わたしたちをにこやかに見守っている。

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堀木一男









 

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1978年に発行されたこの本は、杉浦康平門下の辻脩平さんのデザインである。画家ルドンのモノクロの目玉のイラストレーションを極彩色に彩ったものだ。今見ても古さを感じさせないが、あらためて、1970年代の読売ゴシック+ボドニ+読売明朝+クロイスターのノンブルで組まれた独特のスタイルである。杉浦流である。折しも2011年12月はgggギャラリーで杉浦康平マンダラ発光 展が行われている。永くネパールに関わった杉浦さんの独特のアジアの造形である。

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 マンダラというのは胎蔵界マンダラと金剛界マンダラがあるが、いわば心と体の仏教の世界観を図像化したものである。人間が通過しなければならない成長のプロセスを修行というのだと思うが、その全体像とも言うべきものだ。実はマンダラに興味をもったのは、ユングの著作をとおしてであった。ユング自身その意味もわからず、奇妙な抽象画を描いていたわけだが,ある日友人から送られてきた中国の図像の中に不思議な一致をみいだすのである。それがマンダラであったと後々わかり、それが彼の無意識の研究に一石を投ずるのである。

 ところでユングの著作の中で『空飛ぶ円盤』は最後のものなのだと知った。かなり意外であったが、ユング自身 空飛ぶ円盤についての論評をじっと待っていたようだ。科学者としての態度を誤解されるのをきらったためと思われる。この著作でユングが言っていることは、空飛ぶ円盤は共同幻視であろうということだ。集合的無意識に時代の不安感が働くとき、そのような現象が出現することを、中世の版画に現れている図像を読み解くことで解明しようと試みている。読み進んでいくと,時代時代の空飛ぶ円盤目撃者の願いが極めて宗教的であることが浮かび上がってくる。われわれが心の深奥にかかえている、無意識のひずみとスピリチュアリティの狭間から生まれ出されたもののようである。

 先日米国の空軍であったか航空宇宙局であったか忘れたが、空飛ぶ円盤は存在しない、調査を打ち切ると言う発表があった。ユングが正しければ、これからも空飛ぶ円盤の出現は続くにちがいない。

 

堀木一男

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1冊は 椋 鳩十「夕焼け色のさようなら」

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伊那谷から北アルプスに沈む夕陽の装幀で 

児童文学界の重鎮である著者を理論社の社長の小宮山量平自らが

編集して作った本だ 副題が 椋先生が遺した33章 になっている

椋さんが亡くなったのが1987年とあるからもう四半世紀前の本だ

亡くなった椋さんを追悼して作ったものだろう

こどもならず大人達まで魂をぎゅっと捕まえてしまう椋文学は

どこまでも息づかいがナチュラルだ 

力んだりミエを切ったりというところがなくほのぼのとあたたかい

装幀もサインペンでかいたような柔らかいタッチの書体だ

多少野暮であり格好よさを求めていない

そのままが大事にされている デザイナーにとっては難しい

装幀ではないだろうか

書名はアルプスの少女ハイジに出てくるお爺さんの言葉である

この世でもっとも美しいのはお日様が全てのものに

さようならのあいさつする夕焼けだよ からきている

小宮山にとって椋こそ少年たちの魂に語りかける術を持った

お爺さんであり太陽だったのである 人間の美しさとは何か

心とはなにか 深いところが浸みる

 

もう1冊は 覚 和歌子「ゼロになるからだ」

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この本は装幀がナチュラルなものを提出しているが

椋の本とは対極のデザイナー好みのシンプル志向である

異形の粘土の面と空間たっぷりのさっぱりした空間が気持ちよい

感覚を捕まえる計算が何もないところに隠れている

都会的で洗練がある

生きている不思議と死んでいく不思議を両方から

思い描く気の流れが横溢しているみずみずしい物語詩だ

 

 そのひとを愛するときは

 死んだ人を思うように 

 けれどいつかまた逢えたら

 やっぱりめちゃくちゃにだきしめてしまうだろう

 そのときはもう

 大切なものをわざとすこし乱暴に扱うように

 背中なんかを ぱんぱんたたいて

 あなたが本当に死んでなくてよかったと

 そのことだけで うれしいといい

 ・・・

という感じで歯切れがいい

ふと最後の詩をみたら いつも何度でも

と書いてあった

 呼んでいる 胸のどこか奥で

 いつも心躍る 夢を見たい  

 ・・・

あの 千と千尋の神隠し テーマソングの著者であった

 

堀木一男

 

 

 

 

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トランスパーソナル心理学の中心的理論家ケン・ウィルバーは、人間の霊性(スピリチュアリティー)を考えるうえで、3つの眼の考え方を提唱しています。3つの眼とは肉の眼(自然科学的な眼)、理知の眼(客観的眼より心的現実が重要な心理学的な眼)、黙想の眼(霊の眼であり、精神が精神を直接体験することによる知)であり、この3つ眼が誤って扱われることをカテゴリーエラーといいました。3つの眼の内一つだけが突出し、他の眼の存在を否定し、すべてに適用してしまうことだといいます。またどの眼においても方法の指示、理解、共同検証という3段階のプロセスを踏むことにより客観性が保証されねばなりません。とりわけ瞑想の眼によって得られた経験や知識も、検証や吟味が必要だというのです。

 その彼が膨大な学問的知識を総合し、宇宙の進化の構造を結論的に提出しました。それが、存在の大いなる入れ子構造の図です。

 はじめは物質だけだった宇宙に、物質(A)を基礎としてし生命(B)が誕生し、生命(B)の中に心(C)をもつものが生まれ、心(C)の中から魂(D)が生まれ

、魂(D)の中から、霊(E)が創発するというのです。これは、前の段階のものを基礎として、それを保持しながらステップアップしていきます。単純なものからより複雑で高次なものへ積み重なり進化してきたのです。この関係でウィルバーは低次のものをより基礎的、より高次なものを優位であると表現しました。基礎的なものがなければ高次のものも存在できませんから、ともに重要ですが高次なものは低次なものを内部に含んでいるのでより優位で深度が深いのです。もしこのモデルが正しければ、霊的存在としての人間は進化の中で最も優位な存在ということになります。すべての基礎的なものを内包した霊だからです。

 視点を全体に移してみましょう。魂(D)は霊(E)の部分であり、心(C)は魂(D)の部分であり、生命(B)は心(C)の部分であり、物質(A)は生命(B)の部分を構成しています。どれも下位のものに対しては全体であり、上位のものに対しては部分なのです。このような全体であり、同時に部分であるという性質をもつものをホロンと呼びます。宇宙の構造は、大きな箱の中に小さな箱が入っており、その中にさらに小さな箱が入っているというような、入れ子構造になっているのです。さらに円の外側の大文字のSPIRITに注目です。このSPIRIT(霊)は図で言うと全体として神そのものであり、入れ子構造のすべてを生み出しすべてを内に含んでいる基盤です。霊はすべての根源でありすべてを包み込んでいるというわけです。これって世界の諸宗教の指し示す世界観そのものではないでしょうか。

 

堀木


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マズローは個人の能力を十分に開花させた自己実現的人格にインタヴュウーをこころみました。そのような人にも欠点があり完璧な人がいるわけでもないのですが、賢者も聖人も実在すると言っています。面白いのはインタヴュウーの結果、その人たちには共通する15の特徴があるというのです。そのなかでも8番目に神秘的体験、至高体験というのがあるのですが、はじめマズローは重視していなかったらしいのです。ところが自己実現者がしばしば自発的に神秘的体験を語ることから、次第に注目するようになりました。それは例えば、他者に対して無償の愛情を抱く体験、自然的体験、美的体験、創造的体験、治癒的体験、オーガズム体験など最高の幸福感を味わうというのです。これを至高体験と名付けましたが、さらに高次な認識を保ちつつ静かに安定的に持続する高原体験についても言及しています。それらの人々は生き生きとした生命観をもち、喜びや満足のためにあるがままに生きていると言えるようです。この自己実現者の15の特徴は、私たちの成長の到達点と言えるかもしれません。

 

堀木一男

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